“Death is the sound of distant thunder at a picnic.” W. H. Auden
【内田樹の研究室】才能の枯渇について―【私の補足】利他的な動機から本当の知恵が生まれてくる!!ブログ名:「Funny Restaurant 犬とレストランとイタリア料理」http://yutakarlson.blogspot.com/2010/12/blog-post_26.htmlこんにちは。私は、神戸女学院の内田先生が、公表しておられる、「内田樹の研究室」というブログは時々参照させていただいています。このブログで最近、「才能の枯渇」という記事が掲載されていました。私は、この記事に啓発され、この記事の内容を強化する意味での補足を自分のブログに掲載しました。その補足の結論は、『誰もが自分のためにだけものを考えていたのでは、限界があるということです。しかし、利他的に物を考えたときに、それまでの思考段階を突破し、統合的思考の段階に到達し、その限界を突破することができるということです』。詳細は、是非私のブログを御覧になってください。
これほんとにすごいことがかいてあるね、絶句
まとめると、「利他的に才能を使わないと才能は枯渇する」って話だけど、やっぱり宗教とか希望的観測(嫉妬)にしか聞こえないなあ。。。これって科学的根拠があるわけじゃなく、実感や経験則でいってるだけでしょ?そりゃ、周りに何かを与えてる人間は、回り回って自分に返ってくるだろうに。で、そういう人間もテイクを見越しての(私利目的の)ギブだろうに。そんな小さい話じゃないのかな?そもそも才能が枯渇してないって具体的に誰?北野
< yutakarlson さんトラックバックありがとうございます!「利他的に物を考えたときに、それまでの思考段階を突破し、統合的思考の段階に到達し、その限界を突破することができる」っていいですね!ぜひ読ませていただきます!<nonpareillechic さんいやー!衝撃。ロマンチックでええな〜<北野さん<そりゃ、周りに何かを与えてる人間は、回り回って自分に返ってくるだろうに。この前提を成立させることがすでにロマンチックな考えだとは思いませんか!利他的な行為には質量保存の性質なんか無いですからね。<そもそも才能が枯渇してないって具体的に誰?一時だけもてはやされて消えていった人でない人でしょうね〜
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4 件のコメント:
【内田樹の研究室】才能の枯渇について―【私の補足】利他的な動機から本当の知恵が生まれてくる!!
ブログ名:「Funny Restaurant 犬とレストランとイタリア料理」
http://yutakarlson.blogspot.com/2010/12/blog-post_26.html
こんにちは。私は、神戸女学院の内田先生が、公表しておられる、「内田樹の研究室」というブログは時々参照させていただいています。このブログで最近、「才能の枯渇」という記事が掲載されていました。私は、この記事に啓発され、この記事の内容を強化する意味での補足を自分のブログに掲載しました。その補足の結論は、『誰もが自分のためにだけものを考えていたのでは、限界があるということです。しかし、利他的に物を考えたときに、それまでの思考段階を突破し、統合的思考の段階に到達し、その限界を突破することができるということです』。詳細は、是非私のブログを御覧になってください。
これほんとにすごいことがかいてあるね、絶句
まとめると、「利他的に才能を使わないと才能は枯渇する」って話だけど、やっぱり宗教とか希望的観測(嫉妬)にしか聞こえないなあ。。。これって科学的根拠があるわけじゃなく、実感や経験則でいってるだけでしょ?そりゃ、周りに何かを与えてる人間は、回り回って自分に返ってくるだろうに。で、そういう人間もテイクを見越しての(私利目的の)ギブだろうに。そんな小さい話じゃないのかな?
そもそも才能が枯渇してないって具体的に誰?
北野
< yutakarlson さん
トラックバックありがとうございます!「利他的に物を考えたときに、それまでの思考段階を突破し、統合的思考の段階に到達し、その限界を突破することができる」っていいですね!ぜひ読ませていただきます!
<nonpareillechic さん
いやー!衝撃。ロマンチックでええな〜
<北野さん
<そりゃ、周りに何かを与えてる人間は、回り回って自分に返ってくるだろうに。
この前提を成立させることがすでにロマンチックな考えだとは思いませんか!利他的な行為には質量保存の性質なんか無いですからね。
<そもそも才能が枯渇してないって具体的に誰?
一時だけもてはやされて消えていった人でない人でしょうね〜
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