川内倫子の写真美術館での個展「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」を見にいったところ、ビデオ・インスタレーション作品「照度 Illuminance」が思いのほかものすごく良かった。
彼女の代表作「Illuminance」シリーズは、ローライフレックスの6☓6フォーマットによって日常の風景の一部を浅い被写界深度でクローズアップした表現である。スプーンに乗っているタピオカ、バラの花、など選ばれているモチーフに意味やつながりはなく、あくまで感覚的に選択されたものだ。報道写真をポラロイドで撮らないように、Instagramで社会的なメッセージが生まれないように、正方形というフォーマットは写真からなにかを剥ぎとってしまうようである。その世界は心地よいが、社会とも、人間とのコミュニケーションとも乖離して自分の感覚だけを提示してくる「マイブーム」的世界観は、私のように汚れた心を持つすさんだ人間の目には森ガールの精神性にも似た近視眼的な写真と写ってしまっていたことは否めない。
今回のビデオ・インスタレーションは、川内倫子的世界のモチーフが無作為に10秒ほどの短いスパンで延々とカットアップされていくものだった。同一の映像が一つの壁の上で二画面でタイミングをずらして展開されていて、音はほとんどない。水たまりの中でうごめくミミズ、車窓から途切れ途切れに見える眩しい太陽、すれ違う夜の電車の上に降り注ぐ金の粉のようなもの。映像作品はおそらく5Dで撮影されたもののようで、普通にハイビジョンのフォーマットだった。モチーフは変わらないように見えるのに、このフォーマットのせいなのか、動画だからなのか、客観性が付加されてドキュメンタリー性を帯びていた。地球で起こっているものごと(そして稀に起きる奇跡のように美しい瞬間)をコレクションしている、マニアの収集物を眺めているような気分になる。私が宇宙人に会ったら「地球というのはこういうところです」という資料としてこの映像を見せるだろう。5Dが動画を撮れるようになって、写真作家がその目を動画で記録できるようになったのは素晴らしいことだ。
ちなみにこのシリーズ作としてクラムボンのミュージックビデオに本映像が編集して使われている。こちらは音楽を聞きながら、音楽に合わせて映像を編集したようで、そうするとこのインスタレーションにあったマジックが消えてなくなっているのがまた不思議である。
他の作品については、このインタビューを読むと、「『Illuminance』の展示が私の内側の世界だとしたら、そこから外に出た感じを『あめつち』の部屋では見せたかった」と川内倫子自身も語っているので、「あめつち」は壮大な大自然をモチーフにすることで近視眼的世界よりもっと広い世界を見せたいようだ。しかしアンドレアス・グルスキーやカンディダ・ホファーらの写真のスケールがデカイのは、モチーフとフォーマット以外のファクターが大きそうなのでちょっと違うような気もする。川内さんにはミクロコスモスを追求していただきたいと思った。
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