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そこにおじさんがやってきて、「きみのラッパは上手だからバンドに入りなさい」と誘われた。 男の子はバンドに入って、いろんな曲を演奏した。
バンドは売れたけど、男の子はいまいちしっくり来なかった。
自分が作った曲でもないし、自分がいることでなにかプラスになっているとも思えなかったからだ。 自分でなくてもこのバンドのラッパ吹きは務まるんだろうなと思った。
ある日、男の子が道を歩いていると、公園で演奏をしている人たちがいた。
男の子が見ていると、その人達が「君、ラッパを持ってるけど吹けるの?良かったら入らない?」と 誘ってきたので、演奏に入ってみた。
彼らは曲を演奏する時に、既存の曲においてもプレイヤーにある程度の自由さを持たせた。 そこでは、ポップスの快楽とジャズのアドリブによるアバンギャルド性を合わせもつような、 「カオスの縁」といえるような状況が生まれる。自分が予想もつかないようなフレーズが出てきて、 音楽がどこまでも豊かなものになっていった。
そのような構造だと、 プレイヤーは取替えがきかないし取替えがきく。 自分でなければできないことが出来るし、他の人が入ればその人にしか出来ないことができる。しかし、構造は変わらない。この「取り替えがきかないし取り替えがきく」という状況になれば、閉鎖や停滞が起こらないだろう、これは素晴らしいなと思って男の子は公園を後にしたのでありました。
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