2012年3月12日月曜日

初音ミクを見た



このまえ超久しぶりにワンパク阿部さんと飲んだ。その時に阿部さんが言ってたのが、芸能における人間の華というものである。阿部さんは10年以上前、サラリーマンとしてメーカーに務めながら、プロのダンサーとして独立する夢を抱いていた。しかしどんなに頑張って練習しても、ダンサーとしてやっていくには練習だけでは身に付かない"華"のようなものがあるそうだ。テクニックがなくてもルックスが多少劣っても、華がある人間というものがいて、そういう人がどんどん表舞台に躍り出る。そのたびに努力では得られない天賦の才というものがあるのだと思い、芸能の舞台から身を引くことを決めたという。

その話を、初音ミクのライブを見た時に思い出した。初音ミクはすごかった。わたしはアニメもアイドルも美少女もよくわからないのだけど、初音ミクにはケレン味というか表現者としての華がある。それは初音ミクの他のキャラクターと比べても歴然としていた。よくわからないが、彼女にはスクリーンの中にいるとか関係ないくらい、人を惹きつける引力がある。

さらに感じたのが圧倒的な処女性。二次元だから当たり前なのかもしれないが、人間の血なまぐさを感じない女性パフォーマーというのは大変清らかで、「ミクさんマジ天使」という称号もさもありなんという感じである。ちなみにライブでは人間の女性のダンサーも出てきたのだが、このダンサーの衣装や演出が大変貧乏臭かったのも原因のひとつで、もう人間は絶滅してもいいかも..と思った。

そこまで思わせたのは、特にホログラム映像が精巧だったというわけではない。ライブにおける初音ミクのCGは日本風で、欧米のレベルにはほど遠かった。髪は固まりで動いてるし、肌や服のテクスチャはポリゴンポリゴンしてるし体の動きもカクカクしている。そもそも振り付けが悲しいほどワンパターンだった。さらに、私の席からは立体に見えなかった。スクリーンに投影型なので、見る位置が結構限られるため、良い席で見れば映像とは思えないくらいだそうだ。

これがハリウッドばりのCGでやられたらショーとしてすごいのかもしれないが、そもそもアイドルには解像度が必要ない。そこにうつっているものがアイドルであれば、ローポリでもグリッチバリバリでも、その人であるということだけでよいのだ。むしろうつってなくても良い。スクリーンにうつっているホログラムだろうが蛍光灯の蛾の影だろうが、愛が存在するのであればもうなんでもいいのだ。アイドルが存在するという事実だけで幸福なのである。この「ライブ」ショーの特異なところは、初音ミクがリアルタイムで制御されてるならまだしもレンダリングされた映像だということで、再生される映像に向かって世界の何千人もの人が熱く拳を突き上げているのだと思うと大変感慨深いものがあった。

ライブを見たあと、「初音ミク」のキャラクターデザインでおなじみのイラストレーター、KEIのファースト画集「KEI画廊」のデザインを手がけた若手ナンバーワングラフィックデザイナーのtatsdesign氏(ご結婚おめでとう)と話したところ、ミクのデザインは「動いてる時にとにかくかわいい」をモットーに作られたそうだ。キャラクターのモデルはなんと世界一のアイドル「ミッキーマウス」だそうだ。特徴的なフォルムで、どんなに絵の下手な人が描いてもとりあえず何かわかるもの。なるほど〜


ミクさんマジ天使〜

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