とりあえずタンドリチキンを頼む。肉は堅いけどわりとおいしかった。ビールもとても冷えている。が、マンゴラッシーがまるでひよこのように黄色い。こんなラッシーみたことないな・・・と一抹の不安がよぎる。カレーはチキンとほうれんそう&チーズ、野菜、マトン&ほうれんそうなど基本のものを頼む。
相変わらず客は一人も来ない。なぜか壁を取り囲むようにむなかたしこうの版画が飾ってある。雑誌だとスイートがめちゃくちゃ売れてるとか、弥生人は伊勢神宮を好み、縄文人は出雲大社を好むなど愉快なトークをしながら、寂れたペンションを彷彿とさせる内装でカレーを待つ。
果たしてカレーがやってきた。どれもものすごくまずくはないがおいしいとも感じない。不思議な感じだ。平凡な外見から放たれる香りはスパイスの味を感じさせない平面的なもの。カレーはそこに記号としてあるだけで、我々になにも訴えかけてはくれない。ナンも歯ごたえがなく、まるで紙切れのよう。なぜ!
結局この日、お客は我々だけだった。皆どうやってこういうビミョーな店を避けて通っているのか不思議だが(おいしいかおいしくないかは入らなければわからないのに)、それなりのお店にはやっぱり客は来ない。
まあよく飲食店のドアの前に立った時、なんか虫の知らせのようなものを感じたりするが、「もうお店のドアあけちゃったし」みたいな感じで入ってしまうとたいてい失敗する。我々文明人はネイチャーのコールにもっと耳を傾けなきゃいけないな、とそういう時思う。
このまえよしもとばなながほぼ日で「最低の中に最高がある」という話をしていた。カレーとかハンバーグとか、そういうたいていのひとが失敗しない鉄板メニューというものには、どんなに出来の悪いものであっても普遍的なきらめきが必ず潜んでいる。
全ての日本人が寿司を上手に握れるわけではないように、全てのインド人が作るカレーがおいしいわけではない。それでもこの時私はやる気のないカレーのなかに一筋のきらめきを見た。詳しく言うと、チキンカレーが丸大チキンハンバーグのような味がしておいしいと思った。
カレーはやっぱり偉大な食べ物だ。
ちなみに、新宿だとポトワールというカレーやさんがおいしいそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿