2009年2月23日月曜日

映画「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」


『アメリカン・ビューティー』のサム・メンデス監督が描く夫婦生活は、夢も希望もありません。これまで作られた映画の中でも最悪の夫婦喧嘩が二時間ぶっつづけ。

愛というものは実態がなく移ろいやすい。しばしば相手に自己愛を投影しているのを愛情だと勘違いしてしまう。相手もたいていそれに気づかず、二人は愛し合っているのだと思い込む。これは最も恐ろしい悲劇だ。

ケイト・ウィンスレット演じるエイプリルは「ここではないどこか」に行きたいという子供のような欲求を、ディカプリオ演じるフランクの肩に委ねる。アメリカの郊外のマイホームも子供もある不自由ない暮らしを捨て、パリに引っ越そうというのだ。エイプリルの計画は夢物語にすぎない。フランクに仕事のあてはない。貯金で食いつなぎ、エイプリルが秘書をやって生活するという。それも「給料が高いらしい」と聞いたことがあるだけで、コネがあるわけでもない。

もちろんエイプリルの計画は思うようにはいかない。しかし彼女は全ての原因をフランクにあると思い込み(自分に可能性がないと思うのが嫌だから)、相手にいくじがないと責め立てる。「私の願いを叶えてくれないあなたには何の価値もない」とでも言えばいいのに。

フランクのほうは相手がどうして怒っているのかわからない。こういうのって多分男性のほうが気づきにくい。だから「君は僕を愛しているはずだ」と戸惑うしかない。

物語の終盤、まるで台風の目にすっぽり入ったように、二人の嵐が止んで朝食を取るシーンがある。エイプリルは仕事に行くフランクのためにオレンジを絞り、パンを焼き、「仕事はどう?」「何をやっているの?」となごやかな会話をする。台所に入った朝日が二人の上に差し込む。ほんとうに美しいシーンだ。フランクはこんな朝は初めてだという。今までこれをやればよかったのに。

エイプリルは、本当はわかっていたのかもしれない。何をすればフランクが喜び、愛情が長続きするかを。でも、最初から彼女はそんなものを望んでいなかったのかもしれない。彼女が愛しているのは自分だけで、子供にも夫にも価値を見いだせなかったのだ。パリにだって一人で行けばいいじゃないか。欲求不満を相手をぶつけるのは本当に醜いことだよ。でも舞台は1950年代でウーマンリブの前だから、羽ばたきたい女性もこうやって家庭に閉じ込められていたのかもしれないな。いっぽう、フランクは自己欺瞞に満ちた普通の大人。みんなこんなもんなんじゃないのかい。

最後のシーンは「いままで2時間罵倒しあってた二人を見せて、最後のメッセージはこれかい!」と椅子からひっくり返ること必至!サム・メンデスあんたって奴は!

二人の俳優の演技は素晴らしいけど、アカデミー賞一つもとれず残念。ホラーすぎたんだな。

0 件のコメント: