全部ネタバレなので注意!
デヴィッド・フィンチャー監督「ソーシャルネットワーク」をやっと見た。世界最大のSNSサイト「Facebook」を創り上げたデヴィッド・ザッカーバーグの物語である。
Facebookは化け物だ。2004年にスタートしたこのサービスは2009年に2億5000万人、2010年2月に4億ユーザーを達成し、半年足らずで5億のアクティブユーザーにまで到達した。アメリカ人の半数が利用し、サイト滞在時間もグーグルの2時間05分・ヤフーの2時間28分に比して、約3倍の7時間01分を誇る。
ソーシャルネットワークでは、この化け物が生まれた瞬間が描かれる。
ザッカーバーグはFacebookのアイデアを思いつき、その実現のためにルームメイトのエドゥアルドに1000ドルばかりの出資を頼む。エドゥアルドも友人同士で始めるビジネスに大いに乗り気になり、FacebooのCFOを名乗る。他のルームメイトもプログラマとして巻き込み、ハーバードだけだったプロジェクトは学外に広がり、プロジェクトは次第に大きくなっていく。
だが、友達同士の楽しい日々はここまで。
Facebookをナップスターの創業者、ショーン・パーカーが"発見"し、コンタクトを取ってきた頃から、ファミリー的コミュニティだったFacebookが爆発に向けて膨張し始める。
ショーン・パーカーはFacebookのアイデアを絶賛し、巨万の富を生み出すだろうと保証する。なぜならFacebookはクールだから。クールというのはザッカーバーグが最もこだわっていたところだ。意見が合い、ザッカーバーグはご満悦気味。
だが、エドゥアルドは外から現れた異物であるショーンを信用できない。Facebookに出資してくれるスポンサーを探すべく、NYじゅうを足を棒にして歩き回り続ける。「ケチなスポンサーを探しても仕方ない。このままではヨーグルト・チェーン程度の成功で終わってしまう」と言うショーンにエドゥアルドは反発し続ける。自分が創り上げたコミュニティに異物が入り込み、仲間はずれにされたように感じているからだ。
誰かのビジョンに誰かが共鳴した時、組織が生まれる。3人いれば社会が生まれると言われるが、組織が成長する時、ある地点から爆発的な増殖が起こり、その結果はもとの形からは完全にトランスフォームしてまったく違うものになってしまう。コミュニケーション障害のザッカーバーグが実現したいと思ったビジョンは小さな細胞から爆発的に分裂を遂げ、世界中のひとを巻き込む組織となった。
だがエドゥアルドにはそれがわからなかった。わたしだって、友達同士で始めたちいさなウェブサイトが1億円の価値を持つといわれても信じられないだろう。彼にとってのfacebookは昔ザッカーバーグと同じベッドルームで寝ていたころ、窓にアルゴリズムを落書きして創り上げたかわいいローカルなサイトのままだった。だが、それでは、ヨーグルトチェーンで終わってしまう。世界を変えることはできない。
一方ザッカーバーグは自分のビジョンだけを信じた。ビジョンとは、ビジネス的にこれが当たる、というマーケティングではない。人の心をつかむアルゴリズムだけをひたすら追求しつづけた。
西海岸に本拠地を写したFacebookをエドゥアルドが再度訪れた時、Facebookは既に全世界の人に向けられたグローバルな組織になっていた。巨大な組織は夥しい数の細胞によって形成されており、そうなった時にはもう個人のコントロールは効かない。ゴジラに素手で立ち向かうみたいに。結果として、エドゥアルドはほとんどビジネスには関わってないのに株式をもらったみたいだし、ローカルのままでいることは、それはそれですごく幸せな選択肢でもあると思う。
この映画を見た後、なぜか心の底から震えるようなやる気が湧いてきた。変化から取り残された亡き者にはなりたくないと思った。絶対生き残ってやると思った。けど、一週間経ったのでそのやる気はもうどっかにいきました!
ちなみにこの映画のストーリーはかなり脚色されており、事実とは違うところがけっこうあります。ザッカーバーグはFacebookを作った当時から同じ彼女と付き合ってるので、ラストの意味はまったく違ってきます。この方
ショーンとエドゥアルドも「仲いいよ!俺、あんな失礼なこと言わないよ」とか言ってたり。原作はザッカーバーグに取材していないものなので食い違いもあるそう。原作じゃないほうでザッカーバーグ本人が語ってるものもあるので、いろいろ読み比べてみるが吉でしょう。
あと、これほどまで中毒的な性質を持つFacebookによってインターネットの自由が死に絶えるという懸念も起こってるわけですが、その是非についてはまたこんど!
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